光で超高温分子を創世する

「光」と「熱」は実は密接な関係にあります。

 「光」というか「電磁波」には幅広くX線、ラジオ波などもその範疇に入りますが、一般的なイメージの「光」ではないと思います。いわゆる「紫外線〜赤外線」が「光」でしょう。光のうち可視光線なら色として、視覚で感じることが可能です。それ以外は目で直接確かめることは出来ません。しかし、紫外線なら日焼けで、赤外線なら暖かさで感じることができるはずです。

 光を吸収する事とは即ち「光と分子との相互作用」ですが、まず、どのような光がどのような状態と相互作用するのでしょうか?

 光を波として考えると一周期にかかる時間は

1)可視光線の場合 植物の成長に必要な450nm(青い光)の光だとすると1.5×10-15秒。

2)赤外線の場合 炭素-水素結合の伸縮運動に相当する3000cm-1の赤外光だとすると10-14秒。

 このように相互作用にかかる時間は10倍も異なります。電子は軽いので可視光の激しい振動に追随できますが、原子は重いためゆっくりとした振動の赤外光に応答することになります。

 さて、本題の高温とはどういう事か?ですが、普通は分子運動、つまり並進運動のエネルギーが高いことを意味します。しかしながら、ここでは赤外線を浴びたときの熱さ、つまり原子-原子の動き、結合の振動について考えることにします。

 激しく振動している分子、つまり温度の高い分子は「高振動励起状態」にあるといえます。この状態の分子を「ホット分子」と呼んでいます。この状態にするのには様々な方法がありますが、直接赤外光を数多く吸収するというのも一つの手段です。このような「多光子励起」はレーザーでしか起こすことが出来ません。これはレーザーの特徴である「高強度」つまり「高光密度」が必要なのです。赤外多光子吸収により反応が生じるという例は数多く知られています。が、ここでは詳しく述べません。詳しくは成書をご参考ください。

 ホット分子を作り出すもう一つの方法として「内部変換」という手だてがあります。内部転換は普通ある電子励起状態からその一つ下の同一の多重度の電子状態に遷移する過程です。この内部変換直後は「高振動励起状態、ホット分子」ですが、溶液中では周囲の媒体と衝突するために、きわめて短い時間でエネルギーを失い、Sへと落ち着きます。このため高い励起状態(S)は最低励起状態Sより寿命が短く、高い励起状態が反応に関与することはまれです(図1)。(もちろん、現在では超短パルスレーザーの発展によりSからの反応も観測されています。)

 通常の光化学反応では様々な経験則がありますが、上に述べた物もその一つでKasha則、「光反応は最低励起状態から起こる」といいます。

 

 図1 励起状態の寿命の目安

 

 さて、溶液中では内部転換してホット分子になっても周囲との衝突でエネルギーを失っていまいますが、分子密度が希薄な条件、気相中ではどうでしょう?実は気相中で分子に真空紫外光を照射すると内部転換がきわめて効率よく起きることが知られています。最近この内部転換の速度が測定され、ベンゼンでは約50fsで起きることが実験で確かめられました。これはあらゆる光反応と比べても遜色なく速い過程です。

 さらに通常はS→Sn-1→・・→S1と次々とエネルギーの低い状態となり、反応は最低励起状態のS1で起きると言われてきた訳ですが、気相の場合S→S0への直接の内部転換が超高速で生じ、ホット分子が生成します(図2)。

 

 図2 液相、気相での反応の違い

 

 その後エネルギーが各振動に分配されます(図3)。しかしながら、分子はエネルギーを失った訳ではなく、吸収した光のエネルギーを保持しています。つまり、光のエネルギーが全て分子の振動のエネルギーとなったわけです。このときの振動温度はベンゼンの場合、数千度ケルビンに相当します(表1)。さらには気相のため衝突によってエネルギーを失いにくく(希薄な場合)、生成したホット分子はある程度の寿命を有し、さらに光を吸収することもあります(反応速度に依存)。

 
表1 1光子吸収、2光子吸収の場合のベンゼン、ナフタレンの等価振動温度(K)
 

ベンゼン

ナフタレン
F2レーザー(158 nm)

4060

2780
ArFレーザー(193 nm)

3390

2350
ArFレーザー(193 nm) 2光子分

5900

 

 図3 ホット分子の生成

 

 この図を見ると一見エネルギーを失ったように見えます。この図には単一の振動モードしか書いてないためです。エネルギーは他の振動モードに再分配されたため、この図で示した振動モードのエネルギーは減ります。しかし全体のエネルギーは変わりません(対して溶液中では光のエネルギーは大部分失われ、S1に相当するエネルギーだけが残ることになります)。

 さて、高温状態の生成が可能なことは分かりましたが、普通の加熱、熱反応とどう違うのでしょうか?

 決定的に異なるのは

 ホット分子の生成は瞬時

 通常の加熱法では加熱する段階の途中、数百度で分子はバラバラに分解してしまい、数千度の温度を達成することは不可能です。一方、ホット分子の生成は殆どレーザーのパルス内で瞬時に(ベンゼンの例で言えば数十fs)起こります。このため通常では考えられないほどの高温状態を有機分子で達成することが出来ます。

 「熱反応=周囲の分子も熱い」のに対して「ホット分子反応=周囲の分子は冷たい

 通常の熱反応では目的の分子だけではなく、周囲の分子全てが加熱されます。となれば、せっかく出来た不安定中間体がさらに周りと衝突し、熱反応を起こして最終的には熱力学的に安定なものになってしまいます。ところが、ホット分子になる分子(例えばベンゼン)だけが光を吸収し、周囲の分子(例えば窒素)は光を吸収しなければ励起されることもないのです。

 添加気体との衝突によってホット分子は急速に冷却されます(速度は圧力に依存して自在)。つまり、数千度の超高温分子、ホット分子の反応で生じた不安定な生成物を添加気体によって急速に冷却することが可能、つまり逐次熱反応を起こすことなく取り出せる可能性があります。

 衝撃波を用いて2千度程度まで加熱できる方法もありますが、この場合にも数ミリ秒かかり分子全体が加熱されるため冷却も難しく、逐次の熱反応が起こります。

 ベンゼン液体にレーザー光を照射すると最終的には消し炭になるのが関の山です。ただし、ちゃんと調べると様々な芳香族炭化水素分子が生成しています。これはホット分子が溶液中で出来ても周囲のベンゼンと衝突してエネルギーを失い、その結果周囲の温度が局所的に上昇し、結果的に次々と熱反応が起き、結果的に熱的に安定なものになるためです。

 内部エネルギーの増大、反応速度の数桁に及ぶ増加が可能

 生成したホット分子が再び光を吸収し、内部転換を経て再びホット分子になれば2光子分のエネルギーが振動エネルギーとして蓄積されることなり、より高温状態が達成できます。すなわち反応速度の増大が期待できます。

 このようなホット分子の反応はレーザーで無くても生じますが、はレーザーを用いないと出来ません。レーザーで起きる多光子反応、ホット分子の多光子反応を利用すれば、有利な点があります。例えば、

 1)反応速度が数桁増大する

 2)多光子反応にもかかわらずイオン化が起きにくい(内部転換の速度が大きいため)

 3)光では不活性だと思われてきた分子の反応が期待できる

 この例としてはビフェニレンが挙げられます。この分子は溶液中では光により全く反応しませんが、気相中では生成したホット分子がさらに光を吸収し、反応が生じます。

 

 図4 光不活性分子の活性化の一例(ビフェニレン)


最後に、 

 これまで、内部転換は単にエネルギーを失う過程の一つにすぎないと考えられてきましたが、レーザーを用いることにより光不活性分子を活性化することが出来、これは光化学の新たな一手段となると考えられます。また超高温分子の生成と、その冷却が自在なホット分子の反応は通常の熱反応、とくに素反応を考える上で重要なものと思われます。


参考:(一般書は出ていません)
・八ッ橋、中島、"VUV Laser Chemistry - Formation of Hot Molecules and Their Reactions in the Gas Phase -", Bulletin of the Chemical Society of Japan (Accounts), 2001年, 74巻4号, ページ579-593.
・中島、吉原、"Role of Hot Molecules Formed by Internal Conversion in UV Single-Photon and Multiphoton Chemistry"、The Journal of Physical Chemistry (Feature Article)、1989年、93巻23号、ページ7763-7771.
・日本化学会編、第四版 実験化学講座11 反応と速度、丸善、p216、6800円+税

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