強光子場と分子との相互作用

 果たしてレーザーはどれくらい強いのでしょうか?

 レーザーも光ですから普通の光源を用いた時と同じ光反応も起きます。レーザーの誕生からこれまで膨大な量の研究がなされてきました。レーザーの特徴である短パルス、高強度、単色性、位相がそろっていることなどを生かした研究も数多くあります。

 光化学反応はイントロでも述べたように光の吸収からスタートします。レーザー(光)と分子の相互作用も同じですが、ここで非常に重要な点があります。それは「光化学」で扱う「光」とは原則として比較的「弱い光」であることです。光化学で扱う光と分子の相互作用は「摂動」と呼ばれます。摂動論とは「元の状態にわずかの変化が加わったとき、変化を受けたあと結果がどう変わるかを摂動を受けていない系の組み合わせで取り扱う方法」です。

 この摂動論の領域を凌駕するような、分子の状態を根本的に変えてしまう「強い光」とはどのくらいの強さなのでしょうか?まずは水素分子において水素原子の間に働く力を求めてみることにします(図1)。

 

 図1 水素原子の分子内電場

 

 このように水素分子の分子内電場は5×1011(N/CあるいはV/m)となります。つまり1Å(オングストローム)あたり10ボルトになります。かなりの大きさであるといえます。

 次にレーザーの作り出す電場を計算してみることにします。100mJ、100fs(=10-13秒)のレーザーパルスを20μmに集光したとすると、その電場は6.2×1011(N/C)となり、水素原子の分子内電場と同等か、それ以上になります(図2)。

 

 図2 レーザーの電場

 

 こうなると、もう「摂動論」の条件を満たすことはできず、高強度レーザー、高電場の領域の現象となります。なにが起きるかというと、光反応というレベルではなく(化学反応とは結合の組み替えと解釈することができます)、レーザーの電場によって電子が剥ぎ取られるという現象が見られます。

 たとえば、フラーレンでは100個以上の電子が飛び出し、残ったのはプラスに帯電した炭素原子、、となるとこれはクーロン反発で飛び散ります。これをクーロン爆発と呼んでいます。強度によってはレーザーの偏光方向に依存して非等方に爆発することが明らかにされています。

 さて、イオン化の説明の前に一旦分子内の電子の置かれた立場を考えてみることにします。量子化学の教科書で「1次元の箱形ポテンシャルの中に入った粒子のシュレーディンガー方程式の解」として次のような図を見たことがあるかもしれません(図3a)。あるいは原子核のポテンシャルに束縛された電子として表現されているものもあります(図3b)。

 

 図3 箱形ポテンシャルの中の電子

 

 しかしながら、実際の分子では様々な原子の組み合わせであり、電子が感じるポテンシャルもそれぞれ違います。たとえば、炭素と酸素では酸素のほうがポテンシャルとしては深く、図4ような「ナイフエッジポテンシャル」となります。

 

 図4 ナイフエッジポテンシャル

 

 つまり電子は原子によるポテンシャルを常に感じているわけです。さて、イオン化されるということはこのポテンシャルにうち勝って電子が飛び出すということを意味します。光による一般的なイオン化には直接イオン化共鳴多光子イオン化があります(図5)。前者は1光子のエネルギーで直接イオン化準位を凌駕してイオン化するものです。後者はまず1光子吸収されてから励起状態となり、その励起状態の寿命の間に次の光を吸収し、イオン化準位を越えてイオン化します。つまり段階的多光子吸収でイオン化するものです。

 

 図5 直接イオン化と共鳴多光子イオン化

 

 光が強くなると、今度は共鳴準位がなくともイオン化する非共鳴多光子イオン化が起こります(図6)。この場合には光の密度が高いために同時に分子と相互作用し、その結果多数の光子が吸収されイオン化されます。量子化学的には仮想の準位を経て光の吸収が起こということで説明していますが、ここでは省きます。

 

 図6 非共鳴多光子イオン化

 

 さて、さらに光の強度が強くなった場合にはどうなるでしょう?分子の吸収がある波長では当然、共鳴多光子吸収が起こりますから、分子の吸収が無い波長のレーザーの場合を考えてみます。この場合、光の吸収という概念から、光の電場と分子のクーロンポテンシャルの相互作用に切り替えるとうまく説明できます。(実際には光の吸収という面で言えば、電場の振動が電子の振動を引き起こし、エネルギーを奪われる、これが光吸収ということで説明しています。強光子場で、しかも光の吸収が起こらない、つまり電子を振動できない波長の光が分子の電場をゆがませてしまうという場合です。)
 先に述べたように分子内でも原子核によってそのポテンシャルには偏りがありますが、今度は外部の電場、つまり光の電場がかかった場合にどうなるかを考えてみます。光の波長をベンゼンの電子遷移の吸収がない800nm(8000Å)とすると、ベンゼンの大きさは約5Åなので、分子は電場の一周期に対して無視できるくらいの大きさであると言えます。外部電場の影響は図7の様に描くことが出来ます。

 

 図7 外部電場(光電場)の影響

 

 図7の通り、強烈な電場がかかっている場合には分子のポテンシャルは電場により大きく歪みます。図では左側のポテンシャルが上がり、右側のポテンシャルが下がっています。となると右側のポテンシャル障壁を透過して電子が飛び出しイオン化します。これをトンネルイオン化と呼んでいます。さらにポテンシャルが歪むと、障壁が電子のいるポテンシャルより下がります。こうなると電子はこぼれ出すようにイオン化してしまいます。

 さて、直線偏光の場合、光の電場は図8のように交互に入れ替わっています。となると図7で示した外部電場の傾きは、次の半周期には逆になるはずです。800nmの光であれば1.3fs後には電場の向き(極性)は反転します。トンネルイオン化で右側に飛び出した電子、自由電子は(電荷を持っていますから)電場の影響を受け、次の半周期には左側に振られ、戻ってきます。すると、当然ある確率でまたポテンシャルに落ち込み再結合します。こうなると一見何もなく元に戻ったように思えますが、飛び出た電子は電場によって加速され、大きな運動エネルギーを持っていますし、再結合に際してイオン化ポテンシャルに相当するエネルギーが余ります。するとこれらの和に相当するエネルギーが光として放出されることになります。この光のエネルギーは非常に高いため真空紫外光の発生などに有効な手段となります。

 また、再結合しない場合には高エネルギー電子が衝突するのですから、さらに分子から電子を弾き出すことも考えられ、後続過程として電子衝突イオン化(Electron Impact Ionization)がおこり、さらにイオン化が進むことになります。大きな分子の後続過程には様々なパターンが考えられ、現在議論が盛んに行われています。

 結果としてレーザーの電場、電界によって多数の電子が剥ぎ取られるため多価イオンが生成します。この多価イオンは結局クーロン反発によってバラバラになります(クーロン爆発)。クーロン爆発を利用して分子の構造を調べることや、生成した多価原子を利用してX線発生なども試みられています。


最後に

●非常に大きな運動エネルギーを有する多価原子、分子、電子が生成することから様々な応用が考えられています。たとえばキセノンガスのクラスターからは10メガ電子ボルトの運動エネルギーを持つイオンが生じます。DD核融合への応用も考えられています。

●自由電子と電子を剥ぎ取られたイオンの集団、つまりプラズマ状態からはX線が発生します。これまでレーザーの短パルス性を利用し、超高速反応が測定されてきました。近年アト秒パルスの生成も報告されています。レーザーを用いた時間分解の手法はきわめて有用です。電子スペクトルでは分子の電子状態、赤外スペクトルでは結合の状態、いずれも非常に重要な情報を得ることが出来ますが、実際の分子の構造変化(化学反応)に対してはこれらのスペクトルは直接の回答を得ることは出来ず、ある程度推測によっています。化学反応のリアルタイム計測の究極は構造が逐次変化していくのを観測することにあるでしょう。電子線回折はある程度成功していますが、フェムト秒高輝度パルスX線の発生が容易になれば真の構造変化の実時間観測が可能となるでしょう(但し万能になるとは言えません)。

●また、原理的に全ての物質がイオン化すること、瞬時にイオン化すること、逐次光反応が少ないことから親イオンの選択的な生成が期待できます。難イオン化性物質(生体系)、発光法では検出が困難な物質(塩素化ダイオキシン類など)のイオン化法として期待できます。


参考書:(あまり出ていません)
・小原、神成、佐藤著、レーザー応用光学、共立出版、4000円+税
・日本化学会編、超高速化学ダイナミクス、学会出版センター、4800円+税
・Levis, R. J.; DeWitt, M. J., "Photoexcitation, Ionization, and Dissociation of Molecules Using Intense Near-infrared Radiation of Femtosecond Duration"、The Journal of Physical Chemistry A (Feature Article),1999年, 103巻33号、ページ6493-6507.
・中島、清水、八ッ橋、阪部、井澤、"Large Molecules in High-intensity Laser Fields"、Journal of Photochemistry and Photobiology C:Photochemical Reviews(レビュー)、2000年、1巻2号、ページ131-143.

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